深掘り記事
まず事実からいきます。ホワイトハウスの経済トップで、次期FRB議長候補の一人と目されるケビン・ハセット氏が、「AIはすでに生産性を押し上げており、インフレを招かずに成長を加速させる」と明言しました。キーワードは**「ポジティブな供給ショック」。1990年代のIT革命期にグリーンスパンが採った「失業率が低くても利上げを急がない」運営にたとえ、“低インフレで高成長”をもう一度と示唆したわけです。さらに、データセンターやAI関連投資の“バブル崩壊リスクは低い”**とも語っています。
ここまでは夢のような話。では、冷や水も用意しておきましょう。対中関係です。通商チームは、中国のレアアース(希土類)輸出規制の強化を強く問題視。通商代表のグリアー氏は、年初の合意(関税引き下げとレアアースアクセスの交換)に反すると指摘。政権側のベッセント氏も「彼らは信頼できない」とまで踏み込みました。中国はレアアースの採掘・精製で圧倒的シェアを握り、EV・半導体・防衛・そしてAIの磁石やモーターに不可欠。サプライの蛇口を握る相手と貿易でやり合うのは、燃料ホースをつままれたままレースを続けるようなものです。
ハセット理論の肝は「供給増」です。AIの普及が、同じ労働投入でもアウトプットを押し上げる(=潜在成長率を上げる)から、需要を刺激しても物価は上がりにくいという読み。理屈は明快で、1990年代にIT投資の波が実際に労働生産性を底上げした経験とも合致します。問題は**“伝わり方”と“時間差”です。AIの恩恵はまずクラウド・半導体・ソフトウェアに現れ、次に製造・物流・小売・医療へ波及します。この移行は一朝一夕ではなく、データ整備、業務設計、人材再教育という地味な土木工事が必要です。ここでコスト(投資)だけ先行し、価格転嫁は難しいとなると、「供給ショックの前に利益ショック**」が来る可能性があるのです。
さらに、レアアース規制が長引けば、AIと電動化のボトルネックが強化されかねません。AIが供給を増やすはずが、資材と部材の供給が絞られると、相殺どころか逆回転の恐れ。とくに磁石(Nd-Fe-B系)や高機能モーターに依存する領域は、価格高騰・納期遅延・設計見直しという「三重苦」に直面します。
一方で、ハセット氏はFRBの透明性強化も主張しました。ドット(メンバーの金利見通し)だけでなく**「なぜそう考えるのか」「間違ったとき何を改めるのか」を説明せよ、と。これは市場にとって歓迎材料。コミュニケーションの質はボラティリティを抑え、企業の資本政策に余裕をもたらします。ただし、同僚のスティーブン・ミラン氏(中立金利はもっと低く大胆に利下げを——の立場)に同調するかは明言を避けた**。つまり、成長に強気でも利下げに積極とは限らないのが今回の示唆です。
では、日本のビジネスにとっての実務ポイントを3つに絞ります。
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レアアース・磁石・モーターのリスク査定
取引先ごとに原料の国別ソースと加工(精製)工程の所在を棚卸し。**“中国のどこで詰まるか”**を工程別にマッピングし、代替サプライヤ/代替材(Dy低減磁石等)/在庫バッファの三段構えを作る。注:レアアースは「レア(希少)」というより「精製が集中」している点が本質です。 -
AI投資の“裏方工事”に先に着手
すぐROIを求めず、データ権限設計・品番/マスタ統合・プロセス標準化を先行投資。これをすっ飛ばすと、生成AIやエージェント導入が**“実験止まり”になりやすい。*注:日本企業は現場の属人ノウハウが強み。逆に構造化**が遅れるとAIが学べません。* -
価格と納期の“変動条項”を契約に
レアアースや海上運賃に連動する価格スライド、納期延伸時の責任分担、代替材の適用判断を契約条項化。交渉余地が残る平時こそ、**危機対応の“予備弾”**を装填しておく。
AIの供給ショックは魅力的な“果物”です。ただ、輸送箱(サプライチェーン)が揺れている現状では、果物が腐らないうちに運び切る段取りが勝負。金融・政策の言葉だけを信じては、箱の底から現実がこぼれます。
まとめ
事実関係を整理します。ホワイトハウスのハセット氏は、AI起因の生産性上昇=ポジティブな供給ショックにより、低インフレ・高成長の両立が可能だと表明しました。1990年代IT革命の前例から、FRBは低失業の継続を許容しうる、と。さらに、AI・データセンター投資のバブル崩壊確率は低いとの見方も示しました。同時に、FRBの透明性強化(なぜその見通しなのか、誤りの検証とモデル改訂の開示)を求めています。
一方で、対中通商は緊迫。中国がレアアース輸出規制を拡張し、米側は関税上げに言及。通商代表グリアー氏は、年初の合意(関税引き下げと資源アクセスの交換)に反する恐れを指摘。ベッセント氏は**「信頼できない」と強硬。レアアースの採掘・精製で中国が圧倒的支配を持つ現実が、AIやEVなど戦略産業の供給網そのもの**に影を落としています。
この光と影に対し、企業が取るべき実務は明確です。第一に、素材・部材の集中リスクを工程別に可視化し、代替ルート・代替素材・在庫設計を平時のうちに整える。第二に、AIの“裏方”投資(データ標準化・権限設計・プロセス定義)を先行し、現場に小さな勝ち筋(歩留改善・需要予測の誤差縮小・購買の自動発注)を量産する。第三に、契約条項へ価格スライド/納期責任/代替材適用を明文化し、いざという時の交渉の着地点を前もって作る。
投資家視点では、AI関連の**“上モノ(データセンター設備・ソフト)”に目が行きがちですが、バリューチェーンを支える“下モノ(磁石・モーター・基盤素材)”の供給弾性が成果を左右します。供給制約×需要拡大は、インフレ抑制どころかコストプッシュ**にもなり得るため、価格決定力(プライシング)と在庫回転が評価軸として重みを増します。
最後に、政策面。FRBが丁寧に説明し、市場が納得可能な誤差を許容できるなら、ボラは抑制されます。逆に、対中摩擦が資源・物流・金融へ波及すれば、AIの供給ショックは**“理論上の追い風”**にとどまりかねません。要は、**物語(AI)と配管(サプライチェーン)**を同時に見られる経営と投資が、次の一歩を決めます。
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「彼らは信頼できない」——対中レアアースの神経戦
事実:通商代表グリアー氏は、中国の厳格な輸出規制が年初の合意に反する恐れを警告。米国は**関税引き上げ(最大100%も示唆)**で応戦の構え。ベッセント氏は「信頼できない」と表現し、米自動車メーカーから磁石調達の鈍化報告が政権に入っていることを示しました。中国側は「祝日の影響」と説明しているという話も。
解説:レアアースは「希少」より精製集中が肝。とくにNd磁石(ネオジム)のチェーンは中国偏在が強く、AI×電動化の二重需要で、価格・納期の短期スパイクを起こしやすい構造です。日本企業は設計多様化(磁石量の最適化、Dy低減)とサプライヤの階層開拓で“詰まり耐性”を高める局面。契約面では不可抗力(Force Majeure)条項の運用フローを再点検しておくと、いざの時に効きます。
小ネタ2本
小ネタ①:大人の事情とAIショッピング
ウォルマートがChatGPTと組み、会話の中から一気通貫で購入できる仕組みへ。これぞ**“エージェント・コマース”。人間が「平日タコスの晩ごはんを2,000円以内で」と言えば、AIがメニュー→材料→在庫→決済まで誘導。BtoBでも消耗品の自動補充**に応用が進むはずです。注:請求書・社内稟議・配送スロットの*“裏シナリオ”*をAPIでつなげるのがキモ。
小ネタ②:FRBに必要なのは“説明係”
ハセット氏は、「ドットの点」より「なぜその点か」を重視。インフレ判断を外したならどの仮定が誤りだったかをモデルごと説明せよ、という主張はもっとも。企業IRと同じく、仮説の前提と感度を示すほど、市場の驚きは減ります。中央銀行も**“ナラティブ・デザイン”**の時代です。
編集後記
AIの話は、いつも香りがいい。将来の生産性、きらめくDX、魔法のような自動化——。でも、現場は香りの前に粉塵と汗です。データが混ざっていて、現場ルールが口伝で、帳票が紙で、サーバは年季物。そこへ最新の大規模言語モデルを持ち込むと、最初の成果は得られても、“二の矢”が抜きにくい。私たちが見た現場の“本音”は、「AIよりも、型を作るのがつらい」。でも、型を作った会社から静かに勝つのもまた事実です。
もう一つ。レアアース。そして「彼らは信頼できない」。このフレーズは強すぎるし、外交的にも火に油かもしれません。でも、サプライチェーンの“期待と現実”を凝縮した言葉にも聞こえます。私たちは長くジャスト・イン・タイムに慣れすぎました。地政学が「ジャスト・イン・ケース」を迫っても、現場はすぐには切り替われない。だから、段取りです。①工程別の詰まり可視化、②代替ルートの事前交渉、③契約条項の平時更新。地味ですが、いざの時に効きます。
ハセット流の甘美なシナリオは否定しません。私だって、低インフレ・高成長は大好きです。ただし、その“果物”を運ぶ箱がゆがんでいないか、底が抜けていないか。AIの供給ショックを信じるなら、同時に供給網のショック耐性を作る。相場の物語と、倉庫の伝票。どちらも真実です。香りに酔いすぎず、粉塵も見ましょう。そうすれば、流行りのタコス(TACO)相場にも、少しは胃薬を用意できます。
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