深掘り記事
1|ウォール街は“置いてけぼり”——タリフ交渉の主役交代
米中の貿易交渉で、今回は株式市場が決定打にならない可能性が高まっています。これまで投資家の間には「大きく下がれば、最終的にトランプ大統領(以下、この記事では原文の肩書表現に準拠)が引き下がる」という半ば俗語化した期待——TACO(Trump Always Chickens Out)トレードが存在しました。ところが足元では、中国側も米国側も市場の反応に“過度に”依存していないとの見立てが専門家から出ています。
中国経済データ会社China Beige Bookのシェハザード・カーゼィ氏は、「中国共産党はトランプ氏を“ディールメーカー”と見ている。いくつか譲歩の種を出せば、彼はそれに乗って取引をまとめるだろう」と指摘する一方、市場急落で米国を譲歩させるという見方は取っていません。むしろ「中国は今や非常に自信過剰で、長期戦でも米国より持久力があると考えている」とさえ言います。
一方でウォール・ストリート・ジャーナルの報道には「中国側も株安を“圧力レバー”と見ている」節もあり、解釈は対立しています。いずれにせよ確かなのは、株式は“キャスティングボート”から降りつつあること。実際、言葉の応酬で株は崩れても、その後はじわり反発という場面が増えています。
ここで重要なのが、債券市場の影響力。過去には株ではなく金利(債券市場)が政策の軌道修正を促した局面がありました。財務長官のスコット・ベッセント氏も「株が下がっても交渉しない」と明言。市場の“泣き”が政策を動かす——という単純な因果は、もはや当てになりません。
2|「11月1日」——三桁タリフの分水嶺
時計の針は11月1日へ。中国からの輸入に追加100%関税が課される可能性が残ります。チャールズ・シュワブのケビン・ゴードン氏が言う通り、実効税率が三桁になれば、多くの貿易は実質的に停止します。これまでの「関税⇒反落⇒TACO期待で戻り」という“相場の儀式”は通用しにくい。企業サイドは、代替サプライヤー/在庫積み増し/価格改定の時期を前倒しで再点検すべき局面です。
日本の現場では:
・家電・機械・IT周辺:中国経由の部材や周辺機器は複線調達を標準化。
・越境EC/D2C:米向け価格表と非米向け価格表を分離(課税上振れの逃げ道を確保)。
・契約:納期遅延・フォースマジュール条項のアップデートを。
3|経営者マインドの“重さ”——スタグフ懸念とAIのタイムラグ
Conference Board × Business CouncilのCEO景況感は48(50割れ=弱気優勢)に低下。約3分の2が「今後1年半はスタグフレーション」(成長減速+インフレやや高止まり)を想定しています。政策の不確実性、地政・サイバー、そしてAIが主要懸念。興味深いのは、81%が「5年以内にAIが職務を根本的に変える」と見つつ、「すでに変わっている」は9%に留まる点です。つまり投資=先行、効果=遅行というギャップがある。
それでも、採用・設備投資を増やすと答えたCEOの比率は前期比で上昇。弱気すぎず、強気すぎず——ただタリフの見通しが定まらない限り“全開アクセル”には踏み切れないというのが本音でしょう。
日本企業の示唆:AI投資は**“PoCの沼”に陥らない設計を。ROIのKPI化(回収期間・FTE削減・CSAT/解約率改善など)を四半期レビューで可視化して、“9%側”から“進行中側”へ**移行を急ぐ。
4|市場“任せ”は危険運転——TACOの賞味期限切れ
「マーケットが音を上げれば政策は折れる」という考えは、シャットダウンや対中交渉など他の論点にも広がっていました。しかし、マスト・インベストメンツのクン氏が語る通り、投資家はリスク全体を過小評価している恐れがある。労働市場の弱含み(政府統計は停止中で見えづらい)や生活必需品の価格高止まりが広がれば、AIストーリーだけで指数を支えるのは難しい。“TACO頼み”は、そろそろ免許返納の時期です。
まとめ
今回のキーワードは**「市場の無力化」です。これまでの米中交渉は、市場(特に株)の痛みが政策の譲歩**を引き出す“交渉装置”でした。しかし、当局は株価下落を交渉材料にしない姿勢を公言し、中国側も市場をレバーに使う意志が薄いとの見立てが出てきました。**TACO(株安→引き下がる)**の神話は、一度リセットすべき段階です。
実務で重要なのは時間軸です。11月1日の100%関税は、モノの流れを一気に固めます。輸入代替は見積り→発注→ロジで3〜6か月のタイムラグ。つまり**「様子見」のコストは指数関数的に高くなる。海外工場や物流は年末繁忙+港混雑で遅延しやすく、“間に合わない”のは意思決定の遅さ**が原因になります。
経営者心理は48と半身の構え。とはいえ、採用・設備投資の意欲は回復しており、AIは“期待先行・効果遅行”の典型パターン。ROI指標を先に決めることで、効果の可視化を早められます。逆に設定なき投資は期待の剥落に直結します。
投資家にとっては、「株が下がれば政策が助ける」という回路が切れると、イベント・ボラが素通しでポートフォリオに刺さります。先物ヘッジの粒度を上げ、セクター分散よりシナリオ分散(タリフ実施/延期、供給制約の発生/回避、金利の上振れ/下振れ)で損益の非対称を整えるのが得策。実需側は、**契約の見直し(価格調整条項・納期遅延条項・関税発動条項)を“平時のうちに”**組み込んでください。
そして忘れてはいけないのが、債券市場の存在感。リスクフリー金利のわずかな変化が、株式の割引率と設備投資の期待回収を同時に動かします。株の反応が鈍くても、金利は静かに効いてくる。資金繰り表の金利感応度と**WACC(加重平均資本コスト)**の再計算は、今期の“必須科目”です。
結論として、TACO頼みの相場観は卒業。11月1日を軸に調達・価格・在庫・リスク移転を前倒しで組み替えること。AIは設備投資の現実に裏付けられており、長期の構造テーマは生きています。ただし、短期の需給ショックを舐めてはいけない。**「市場は助けてくれない」**前提で、手当を自分で済ませるのが勝ち残りの近道です。
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CEO信頼感「48」の読み方——弱気だけど投資は増える、その理由
ポイント
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信頼感指数は48で弱気優勢。ただし採用・設備投資の増加を示す回答は増加。
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64%がスタグフ懸念、政策不確実性が意思決定を鈍らせる。
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AIは“変える”予感81%、すでに変化9%。ギャップを埋めるのはKPI設計とオペ変革。
解説
企業は「足元のマクロは不確実、だが自社の競争力は自分で作る」に舵切り中。だからこそ、短期は守り(在庫・調達・為替・関税対応)、中期は攻め(AI・自動化・チャネル刷新)を“二刀流”で実装していると読むべきです。日本企業も**守りのSOP(標準手順)と攻めのOKR(目標管理)を同時運転に。経営会議の議題も「決める案件:守り」「議論する案件:攻め」**で仕分けると、意思決定速度が上がります。
小ネタ2本
① ピーナツバター・ウォーズ:Smucker’s vs Trader Joe’s
グレープジャムでお馴染みのSmucker’sが、Trader Joe’sの**“Uncrustables風”冷凍サンドを意匠・表示の類似で提訴。「円形で周縁が波状に圧着された形状」やパッケージの“一口かじり”画像まで主張ポイント。20年で10億ドル投資**して育てたブランドだけに、本気度は高め。TJ’sはオレオ→Joe-Joe’s、シリアル→Joe’s O’sと“オマージュ文化”で知られますが、今回は踏み込み過ぎ? 競合他社(四角形で“かじり”無し)には矛先を向けていないのも、線引きの示唆として興味深いところです。
② ロンドンで“スマホ狩り”——アルミホイル1.5マイル問題
ロンドン警察がスマホ盗難に大規模メス。年間8万台盗難、2週間の摘発で2,000台と約26.6万ドル押収。中国向けに最大4万台輸出の疑いも。容疑者の車からはアルミホイルを大量購入(コストコで約1.5マイル分)の痕跡——追跡信号を遮断するためだとか。1台約400ドルで即換金、新機種なら中国で5,000ドルの値もつくことがあるとの報。「財布よりスマホ」の時代、出張時はeSIMロック・生体認証・遠隔ワイプの準備をお忘れなく。
編集後記
タリフの見出しが踊るたびに、「また市場が“身代わり”にされるのか」と肩に力が入ります。けれど今は様子が違う。市場を人質にしない——それは覚悟の表明でもあり、ノイズの増幅でもあります。株が泣いても動かないなら、我々が動くしかない。在庫、契約、価格、ロジ、与信——地味なツマミをひとつずつ回すしかありません。
皮肉なことに、AIの物語は対照的です。効果は遅い、でも投資は進む。CEOのアンケートで**81%が「職務が変わる」と言いながら、9%しか「もう変わった」と答えない。この“ねじれ”**は、現場を知る人ほどよく分かるはず。ツールを入れても、業務設計・権限移譲・評価制度が変わらなければ、**新しい“雑用”**が増えるだけ。AIを魔法にしないために、捨てる仕事を先に決める——これが一番効きます。
最後に、今号の合言葉を。「TACOは卒業、段取りは前倒し」。市場の都合に合わせてくれない時代に、私たちができることはシンプルです。決める→動く→見直す。そして、嘘や創作は一切なしで、事実の筋だけを追う。世界はそれだけで十分ドラマチックです。
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