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アメリカの景気が“静かに冷えている”兆しが出てきました。
JPMorgan Chase Instituteの最新レポートによると、実質所得の伸びが10年ぶりの低水準に落ち込み、とくに25〜29歳の若年層が深刻な打撃を受けています。
●「給料は上がっているのに、生活は楽にならない」
名目賃金は一見プラスですが、インフレが上回るため購買力(real income)は横ばいどころか実質マイナス。
しかも、企業側も人件費を抑える方向に舵を切っています。
JPMorganの調査ディレクター、ジョージ・エッカード氏はこう語ります。
「企業はスタッフを減らしたいから賃上げを控える。人が辞めなければ、いずれ解雇を始める」
つまり、アメリカの労働市場が「低採用・低解雇モード」に入り、流動性が落ちているということ。
転職による昇給チャンスが減り、若者がキャリア初期で収入を伸ばす“黄金の10年”を逃しているのです。
実際、25〜29歳の所得成長率は2010年代以降で最悪レベル。
若年層の失業率も10%超と、全体平均(約5%)の倍。
“人生の初速”をつけるべき年代でブレーキがかかっています。
●一方、企業業績は絶好調
皮肉なことに、**企業の利益は前年比+15%(第3四半期ベース)**と好調。
つまり「企業が苦しくて賃上げできない」わけではありません。
報告書では、“トランプ再登場の不確実性(Trumpian uncertainty)”が経営判断を鈍らせていると指摘されています。
選挙、関税、外交、規制…どの政策がいつ変わるかわからない。
だから企業は「今は採らず、今は上げず、様子見」を選んでいる。
この“採用も昇給もしないモード”が若者に集中して響いているのです。
中高年層は既に職を確保し、賃金も固定されやすい。
一方、25〜29歳は転職を重ねて年収を伸ばす世代。
その「昇給ルート」が止まると、格差は固定化します。
そしてこの構造は、次の景気サイクルで若者が「購買層」としても弱くなることを意味します。
家も車も買わない、サブスクすら減らす。
つまり、アメリカ経済の内需エンジンが細くなる。
日本でもこの「若者の所得鈍化→消費停滞→企業がまた投資を絞る」という循環は、90年代に経験済みです。
今のアメリカは、リモートワークやAI導入をきっかけに、同じ道を早送りで走っているように見えます。
●若者の「静かな絶望」とAI経済の二極化
いまアメリカでは、AI投資が「聖域」となり、
AmazonやUPSのような大企業が数万人単位のホワイトカラーを削減し、
その資金をAI・クラウド・自動化に回しています。
こうした「人件費→AI転用」の動きが、労働市場の底冷えを加速させています。
JPMorganの別分析でも、若年層の銀行口座残高は前年比マイナス4%。
ローンやクレジットカード利用は増えており、生活防衛に入っている兆候です。
「AIで効率化、利益率アップ」というニュースの裏では、“人の効率”が削られ、所得の再配分が止まっている。
しかも、若者は最もAIの恩恵を受ける職種に就きにくい。
生成AI開発、クラウド設計、機械学習エンジニア…。
どれも中堅以上のキャリア層が中心です。
新卒・若手層はサポート職やカスタマーサービスに偏りやすく、AIに置き換えられやすい構造。
「AI時代はチャンスだ」と言われつつ、最初に淘汰されているのは若手という現実が浮かび上がります。
●経済は強いのに、生活は弱い——二層構造の定着
マクロの数字だけ見れば、米国経済はまだ堅調です。
失業率は5%前後、企業の利益率も回復。
しかし、その下に**「働いても生活が安定しない層」**が厚く広がっている。
JPMorganの分析は、まさにこの“静かな崩れ”をデータで裏づけました。
ポイントは、これが一過性ではないこと。
コロナ禍後の回復期なら「数年で戻る」と言えましたが、
AI投資・地政学・気候災害という三重構造のもとでは、企業の投資対象が“人間”から遠ざかっている。
このままでは「実質賃金が上がらないのが当たり前」という空気が定着しかねません。
まとめ
今回のJPMorganレポートが示すのは、
**「景気が悪くなくても、給料は上がらない時代に入った」**という冷たい現実です。
企業の利益は15%増、株価も堅調。
それでも賃上げは鈍化し、特に若年層の所得成長率は2010年代以来の最悪。
背景にあるのは、AIや自動化投資へのシフトと、経営者の「採らない・上げない・様子見」戦略です。
若者の失業率は10%以上。
転職による年収アップのチャンスが減り、所得の伸びが止まっている。
これが続けば、彼らが消費・投資・起業に回す余力も失われ、
中長期的には米国経済の内需が弱体化していきます。
さらに、インフレの粘着性が購買力を削り続けています。
表面上は賃金が上がっていても、生活の実感としては「給料が増えたのに貧しくなった」。
この“逆回転”が中間層を直撃している。
そして、JPMorganのデータでは、所得の停滞が最も深刻なのはミレニアル世代後半(30歳前後)。
つまり、次の住宅・教育・出産世代が最も打撃を受けているのです。
アメリカの“強い企業・弱い個人”構造は、いまやバブル前夜の日本に似ています。
景気は悪くないのに、個人は疲弊している。
それでも金融市場は好調——という二重構造。
そこにAI投資が重なり、「人件費は削る」「キャッシュはAIへ」という資本主義の“正解ムーブ”が加速しています。
結果として、労働市場の温度差は広がる一方です。
働く人が減り、働ける人も報われない。
この「構造的デフレ」を、アメリカはいま肌で感じ始めています。
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「金が落ちても、信頼は上がる?」——ゴールド市場の転換点
ゴールド(金)が過去最高値から約10%下落し、調整局面入りの寸前にあります。
ことしは“安全資産”として異例の上昇を見せ、株高と同時に買われるという珍しい現象が起きました。
Bank of Americaは依然として60/20/20(株6・債2・金2)ポートフォリオを推奨しています。
金が上がっていた理由は、地政学リスクとドル不信。
しかし最近は株が再びリスクオンに傾き、
金は“本来の役割”であるヘッジ資産として調整に入っています。
興味深いのは、専門家の言葉です。
「金は安全資産の王様だが、今年はリスク資産と同時に上がっていた。いまようやく正常化している」(ラザード社ポール・モグタダー氏)
つまり、金が下がることは市場が落ち着いてきたサインでもある。
投資家の心理的な“避難所”が不要になれば、金は静かに役目を終える。
金の調整は、むしろ経済がリスクを受け入れ始めた証拠なのです。
小ネタ2本
① 「銀行ローンで生活費」——政府停止のリアル
アメリカの政府機能停止(シャットダウン)で、連邦職員が無利子ローンを銀行から受け取るという前代未聞の状況。
USAAはすでに9万件(総額3億2,800万ドル)を実行。
給料が止まった国家公務員が「銀行に助けを求める」構図。
日本でいえば「財務省職員がゆうちょで生活費借りてる」ような話です。
② ビル・ゲイツ「気候の悲観はもういらない」
ハリケーンがジャマイカを襲ったまさにその日に、ゲイツ氏が「悲観論を控えよう」とメモを発表。
「気候変動よりも貧困対策に焦点を」と主張しました。
コロンビア大学のジェフリー・サックス教授は即ツッコミ。
「両方やればいい。対立構造にする意味がない」
タイミングも内容も皮肉が効きすぎて、もはやSFのような現実です。
編集後記
アメリカの「給与が上がらない」は、もう一時的な話ではなくなりました。
かつて“インフレが悪い”と言われた時代には、「でも給料は上がる」ことで辻褄が合っていました。
いまは逆です。インフレは続くのに、給料は止まる。
この「生活が静かに苦しくなる経済」を、世界一豊かな国が経験している。
そして面白いのは、企業が苦しんでいないこと。
むしろ利益は過去最高。
株主は満足、株価は堅調、AI投資は花盛り。
「労働者の所得が停滞している」というニュースが、株式市場には“買い材料”になる時代。
まさに**資本主義の最終形態=“不幸が株価を押し上げる構造”**です。
若者が一番の被害者であることも、どこか déjà vu です。
日本でも90年代後半、若者の非正規化が進んだころ、
「景気は悪くないのに、就職がない」と言われていました。
それが20年後に人口減・消費減・税収減という形でツケを払った。
アメリカも同じ道を辿るとすれば、次の10年で“消費の中核”が細るのは避けられません。
そして皮肉なことに、同じ週に「連邦職員が銀行ローンで食費をまかなう」ニュースが流れている。
国家の屋台骨がクレジットラインに頼る。
これほど象徴的な「金融資本主義の終点」もないでしょう。
それでも金融市場は今日も上がり、AI企業には資金が流れ続ける。
そしてそのAIが、また若者の仕事を減らす。
人件費の節約で株価が上がり、その上昇を理由に経営者はボーナスを得る。
この循環を「効率」と呼ぶのは、少し悲しい。
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