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クラフトビール・ブームの失速—「好き」が産業になり、「飽き」がリスクになるまで
全米を席巻したクラフトビールの長い上昇気流が、ついに乱気流に突入しています。産業規模は約288億ドル。ところが2024年の生産は前年比▲4%と、パンデミック期を除けば過去最大の落ち込み。2025年上期の速報でも出荷はさらに▲5%、開業より閉業が上回る「ネット縮小」へ。タイミング悪く、業界の祭典「グレート・アメリカン・ビア・フェスティバル」(デンバー開催)が幕を開けるなか、チケット販売は全盛期より減速気味ながらも3〜4万人、出展450以上が集結——まさに“最後の祝祭”の空気すら漂います。
なぜ、ビールの泡がしぼみ始めたのか。要因はシンプルで現実的です。
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供給過多と差別化難:各地にマイクロブルワリー(小規模醸造所)が急増し、IPA(ホップ香の強いスタイル)偏重の似た味が並ぶ「同質化」の罠に。
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消費の選択肢が激増:RTD(缶入りカクテル)やハードセルツァー、ノンアル市場が拡大。若年層の“軽くて甘くない”嗜好もビール一択ムードを解体。
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健康志向・価格感度:GLP-1など食欲抑制薬の普及、外食インフレ、宅飲みの最適化で“1杯の価値”に厳しい目。
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物流・資本の壁:缶・原料価格の高止まり、金利負担、卸流通の寡占。小規模には向かい風が多い。
ここで重要なのは、「ブームの構造」=作り手の情熱 × 物語 × 流通の伸びしろが、成熟とともに**「資本の論理」**に置き換わる点です。熱狂が収益性の均衡点を超えた途端、淘汰が始まる。日本でもコンビニのクラフト棚が拡充し、地域ビールの存在感は増しましたが、「どこで飲まれて、どう売れて、何が続くのか」という基本のKPI(販売単価、リピート率、利益率)の見える化が勝負を分けます。ラベルの美学や限定品商法は入口になっても、出口(継続収益)になりにくい——これが2025年のリアルです。
とはいえ、悲観一色ではありません。“小規模×直販(D2C)×体験”はまだ磨けます。醸造所内タップルームでの限定提供、ペアリング提案、会員制サブスク、フードとのセット販売……。「味 × 物語 × 体験」を在庫とキャッシュフローの設計で裏付けできるか。ビールも事業も、結局は仕込みと回転です。泡は消えても、うまみは残せる。各地の作り手にまだ逆転の余地はあります。
最後に投資家目線。ブーム産業の共通リスクは「参入障壁の勘違い」。醸造免許やタンクは障壁のようで、実は最大の障壁はロイヤルカスタマーの獲得コストです。テックで言えば“プロダクトは作れたが、継続率と単価が伸びない”に似ています。クラフトの次フェーズは「数を増やす」から「深さを売る」へ。SKU(アイテム)削減と定番の磨き込みが、派手さはなくとも勝ち筋です。
まとめ
クラフトビールは、好きを仕事にした「職人経済」の成功例でした。地域の水、原料、物語、デザインが掛け合わさり、SNSが拡散し、ブルワリーが観光地化する——まではよかった。しかし市場は有限です。似た味・似た体験が増えれば、消費者は飽きます。RTDやノンアルの伸長、健康志向の波、家計の節約モードが重なり、**「もう一杯」より「今度でいいか」**が増えた。結果、売上の山は高く、谷も深い産業になってしまったのです。
では、ここから何を学べるか。第一に、差別化は“限定の連発”ではなく“定番の格上げ”にあります。1本の看板商品を、価格・容量・提供体験を含めて「必ずリピートされる設計」にすること。第二に、直販と会員化。来店・ECのハイブリッドで、飲むだけでなく学ぶ・贈る・集うを束ねる。第三に、在庫と資金の回転。醸造は先行投資型。だからこそSKUを絞り、歩留まりと仕込みサイクルをKPI化し、キャッシュの滞留を最小にする。第四に、共同化・水平連携。設備の共用、原料の共同調達、イベントの合体開催で、スケールに抗う「連合」を作る。単独の“好き”が連なると、ちゃんと“経済”になります。
そして投資家に向けて。クラフトの失速は、目下のAI相場にも通じる教訓をくれます。熱狂はKPIで裏打ちせよ。 来場者数、チケット売上、LTV、解約率、在庫回転——派手な見出しより地味な数字。ブームに見えるものの中に、可処分所得の配分変化が確かに起きています。飲料では「軽く、早く、罪悪感少なめ」。テックでは「速く、賢く、安定的に」。いずれも共通するのは、消費者の現実主義です。
結論。泡はしぼんでも、旨みは残せる。クラフトの次章は、「量から深さへ」「限定から定番へ」「単独から連合へ」。作り手は仕込みを再設計し、投資家はKPIの目を鍛える。フェスの熱気が去った翌日からが本番です。静かな台所で丁寧に煮詰め直す人に、次の乾杯が待っています。
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「戦争は終わった」—ガザ停戦の“第1フェーズ”が示す現実
米大統領が「ガザ戦争は終わった」と宣言。イスラエル内閣は合意承認へ、ハマス側も恒久停戦を宣言。24時間以内にイスラエル軍が合意済み周辺まで撤収、ラファ検問所の再開、72時間以内に人質全員の解放——と、工程が具体的に示されました。もし予定通り進むなら、2年に及んだ戦火の転換点です。
ただし“第1フェーズ”は信頼のテスト。撤収と人質解放、越境支援の実装は相互依存で、どれか一つが遅れれば全体が止まります。分断が深いほど、事務と物流の精度が問われる。政治の大きな言葉より、現場の小さな段取りが和平の実体を作ります。停戦は“終わり”ではなく“始まり”。武装解除、治安の移行、行政の権限移譲、インフラ復旧、避難民の帰還——一つずつ積み上げる長い作業が待っています。
“終わった”という言葉の軽さを疑いながらも、**「爆音の止む時間」**が増えること自体に価値があります。合意文の一文、検問所の一本のトラック、人質の一人の帰還。それぞれが“次の一歩”を作る。ニュースの見出しは大仰でも、和平の現場は極めて地味です。そこにしか本当の進展は生まれません。
小ネタ2本
① ドミニオンが“保守系”に売却? — 選挙ビジネスの現実主義
2020年選挙を巡る陰謀論の的となったドミニオン・ボーティング・システムズが、米ミズーリの企業に売却。政治的文脈が強い領域でも、最終的には**「運用・サポート・信頼の積み上げ」というB2Bの地味な勝負に戻る——という示唆。看板よりSLA(サービス水準)**が物を言います。
② 「オールアメリカン・ハーフタイム」—文化戦争は“休憩時間”にも
保守系団体がスーパーボウルのハーフタイムに対抗イベントを企画。アメリカの文化戦争は、今や本編よりハーフタイムが熱い。分断は続いても、演出とスポンサーはどちらも全力なのがまたアメリカ的。娯楽は最大の選挙活動、というわかりやすい構図です。
編集後記
ビールの話を書きながら、つい居酒屋のメニューを思い出しました。限定の山——桃IPA、柚子なんとか、ヘイジー何某。楽しいんです、最初は。でも3回目の来店で、気づくんですよね。「前にうまかった“あれ”は、もうない」。それ、クラフトの宿命であり弱点でもあります。限定はSNSを賑わすけれど、生活の定位置は取れない。冷蔵庫の“いつもの場所”を取れるのは、結局“定番の説得力”なんだと思います。
政治も似ています。大見出しは踊るけれど、生活は踊らない。停戦の大号令より、ラファ検問所で何台トラックが通れたか。そこに人の呼吸が戻る。派手な「解決」より地道な「修復」。クラフトの仕込みと同じく、和平も時間と段取りの芸です。
そして投資。AIだバブルだと騒がしい中で、教えてくれるのはやっぱりKPIの地味さ。ビールなら在庫回転、テックなら継続率。数字は嘘をつかないけれど、数字の選び方は簡単に嘘をつかせられる。だからこそ、**“見たい数字”ではなく“効く数字”**に目を凝らしたい。泡は一瞬で、うまみはあとから。市況の泡に酔いすぎず、後味のいい選択を。
最後に小さな皮肉を。政府はよく「国民の皆さまのために」と言いますが、空港の遅延は秒で国民に届きます。泡のようなスローガンより、一便の定時運航の方がよほど政治です。というわけで、次の乾杯は「限定の奇抜さ」ではなく「定番の底力」に。冷蔵庫の“いつもの場所”を取り返すべく、今日も仕込みを見直しましょう。ではまた、乾杯の前に仕込みの話を。
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