深掘り記事
ウォール街の空気が一段ひんやりしました。ゴールドマン・サックスのデヴィッド・ソロモンCEOが香港の投資サミットで「向こう12〜24カ月で10〜20%の調整は起きうる」と発言。モルガン・スタンレーのテッド・ピックCEOも「10〜15%の調整は健全」と同調。これを合図にテック主導で売りが広がり、個人投資家に人気の銘柄まで巻き込みました。住宅バブル崩壊を的中させたマイケル・バーリも最新の開示でNvidiaとPalantirにショートを構築。プロも個人も「一度、泡を落としておこう」というムードです。
とはいえ、引き算は必ずしも悲報ではありません。過去10年だけでも**“20%超の下げが4回”**あり(意外にも1930年代ではなく直近10年)、35年で10%超の下げは13回=約3年に1度の頻度。2022年の弱気相場、2023年の地域銀行危機、今年4月の場中ベアマーケットを通過しても、累計リターンは+220%超という“経験則”もあります。問題は「下げ自体」ではなく、押し目買いの恒常性が崩れるかどうか。ディップ・バイヤーが一斉に足を止めれば、調整は“健全”の域を超えます。
さらに相場を難しくしているのが、関税(タリフ)をめぐる最高裁審理です。論点は、前政権がIEEPA(国際緊急経済権限法)を根拠に敷いた包括的関税が適法かどうか。スタンダード・チャータードは「市場は“無風”を期待しているが、判断は不確実」と指摘。関税停止・縮小ならドル安→金利上昇の連鎖や、関税収入の剥落で財政悪化が意識され、ボラ拡大リスクも。一方、現行維持なら“当面の不確実性後退”で米資産に短期的にプラス。J.P.モルガンAMのデービッド・ケリーは、広範囲の関税が覆れば**「物価低下と成長押上げ」の面もあり、消費関連株の追い風になり得ると見ます。結局マーケットが嫌うのは悪材料そのものよりも「方針の不確実性」**なのです。
人材面ではボーナスが2年連続で増額見込み。コンサル会社Johnson Associatesによれば、株式セールス&トレーディングは+15〜25%、経営・アドバイザリーは**+10〜15%、不動産は横ばい。ただし採用は「全体として鈍い」**見通しで、AIとテック主導の効率化で3〜5年で10〜20%の人員減の可能性が示唆されています。つまり「稼ぐ→報いる」は続くが、「増やす(雇う)」は鈍い──収益は太るが組織は軽くという、ポストAI時代の金融業の新バランスです。
マクロの足元はどうか。政府統計がシャットダウンで止まるなか、ADP雇用統計(民間)は10月+4.2万人の増加に回復(9月はマイナス)。ただし伸びは限定的で偏在。増加は教育・医療、卸小売/運輸・公益、金融などに集中し、娯楽・宿泊、プロフェッショナル/ビジネスサービスは減少。FRBの12月利下げ判断をめぐって、強弱どちらの解釈もできる“微妙な”数字です。さらにNY連銀の家計債務は7–9月期に+1,970億ドル増加。延滞は概ね安定する一方、学生ローンは延滞計上が復活。家計のクッションが薄い層に負担増の兆しが見えます。
総じて、今の相場は「健全な調整を歓迎」というウォール街の建前と、「ディップ買いが効かなくなるかもしれない」という本音のはざま。さらに最高裁のタリフ判決がドル・金利・財政・物価・消費を同時に揺らす“多変量ショック”を内包し、雇用はプラスだが広がりが弱い。この組み合わせは、“買いたい理由”はあるのに“買い切れない相場”を作りやすい。ここで求められるのは、銘柄選別とシナリオ別の資本配分、それから政策(司法含む)イベントのトリガー管理です。
まとめ
今回のメイン論点は**「下げの質」と「関税の不確実性」です。
まず下げの質**。ウォール街のトップ達が口を揃えて語る「10〜20%のドローダウンは健全」は、歴史的にも裏づけがあります。過去10年で20%超の下げが4回、35年で10%超は13回。つまり今回のような警鐘→調整は、強気相場の“休憩”としての定番です。問題はディップ・バイアーの行動。押し目買いの習慣が続く限り、調整は短命で済みますが、「今回は違う」と皆が思った瞬間、下げは“健全”を超える。市場心理の均衡がどちらに傾くか、プライスより早くモニタリングが必要です。
次に関税の不確実性。最高裁がIEEPAに基づく包括関税をどう裁くかで、ドル・金利・財政・物価・消費の関係が組み替わります。現状維持なら不確実性が減り短期はリスク資産にプラス。縮小/停止ならインフレ圧力の後退と成長押上げという“良い面”もありつつ、ドル安・金利上昇・財政悪化懸念という“揺れ”も同時発生。市場が一番嫌うのはサプライズであり、“タリフは脇役”という油断が解けると、短期的なボラは一段上がります。
労働市場はADP+4.2万人で「悪くはないが力強くもない」。教育・医療・流通・金融に偏った増加は、需要の局在化と可処分所得の圧迫(学生ローン延滞復活や家計債務増)を示唆。ボーナスは上振れでも、採用は鈍いという金融業の構図とも整合的で、**“雇用の量より質”**の局面です。
実務に落とすなら、
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(ポートフォリオ) バリュエーション負荷の高いテックは、利食い枠とコア長期枠を分離。バーリのショートは“象徴”にすぎないが、押し目買いの前提が崩れた時の最大損失を前もって計算。
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(マクロ感応度) タリフの3分岐(維持/縮小/停止)で、ドル・金利・セクター(消費・輸入依存・設備投資)の感応をシート化。判決ヘッドラインに対する即時の再配分ルールを用意。
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(キャッシュ運用) ドローダウンの頻度統計を踏まえ、3〜6カ月の現金比率とヘッジを、“健全な調整”が健全でなくなった場合の保険として設計。
要は、**“調整は想定内、でも連鎖は想定外”**にしない段取りです。市場は今日も騒がしいですが、数字とルールがあれば静かに対処できます。
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「ウォール街ボーナス、2年連続で増額へ」
Johnson Associatesの予測では、株式セールス&トレーディングが+15〜25%、経営・アドバイザリーが+10〜15%、不動産は横ばい。2年連続の上振れは、主要銀行の記録的トレーディング収益、強気相場2年目、そして利下げがM&Aを刺激するという“追い風セット”が背景。ただし採用は鈍いうえ、AI起因で3〜5年に10〜20%の人員縮小可能性も示唆。**「高ボーナス×薄い増員」**は、**レバレッジより“人×AIの生産性”**を重視する新常態です。金融に限らず、高付加価値領域を少人数で回す設計が勝ち筋になるでしょう。
小ネタ2本
① ディップ・バイヤー点検リスト
「押し目買い」が効かなくなったサインは?
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出来高を伴う戻り売りが増える
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指数よりディフェンシブ優位が長引く
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テックの好決算→下落が常態化
3つのうち2つ以上が連続したら、指値の深さを一段見直し。
② タリフ判決“3色”メモ
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維持(青):不確実性後退→短期的に株プラス
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縮小(黄):消費関連に追い風/ドル軟化・金利上昇も
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停止(赤):ボラ拡大・財政懸念台頭、セクターの明暗クッキリ
色で会議メモに貼ると、全員の脳内マップがそろいます。
編集後記
「健全な調整」ほど、投資家を不健全にする言葉はありません。健全と言われると、なぜか油断して、**“まだ押す”か“まだ買う”のどちらかに寄りがち。けれど相場は、私たちの形容詞に従ってはくれません。健全な下げを健全に通過するコツは、“形容詞を捨てる”**ことだと、最近ようやく思います。
もう一つ、関税の判決。市場は政治より数字に敏感だ、と言いますが、司法はその中間にいます。ときに政治より速く、統計よりも重く、値決めの前提を動かす。ヘッドラインの善悪で反応するうちは素人、P/Lのどこに効くかで反応できてプロ。私たちの仕事は、見出しを読むことではなく、仕訳を変えることなのだと、自戒を込めて。
ボーナスの話も皮肉です。“もっと払う、でも雇わない”。AIと人が同じ席を奪い合うのではなく、同じ案件の中で役割を分け合う時代に入っています。人は仮説と説明責任を、AIは探索と定型化を。役割が明確なほど、チームは強い。逆に言えば、**“人とAIの境界が曖昧”**な組織ほど、いざというときの判断が遅れます。
最後に、ADPの+4.2万人。強いとも弱いとも言える数でした。こういう数字こそ、物語の餌になります。強気は「戻った」と言い、弱気は「まだ弱い」と言う。どちらも正しく、どちらも不十分。私たちが本当に欲しいのは、この数字が自分の事業にどう効くかという翻訳です。採用計画、在庫、価格、投資──翻訳先が決まっていれば、どんな曖昧な数字でも“使える”に変わる。
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